10年程前から生まれ故郷である与那国島に仕事の関係で行き来する機会が増える様になりました。その中で私は農業で生計をたてていた家に育ちましたので、どうしても田・畑の状態が気になりました。
両親も高齢と共に農業はせずに田・畑を第三者に任せている状況で、その方も高齢化して農業が続けられず、小作者の居ないままの状態で田・畑が山林化「休耕農地」していくのをただ眺めていくだけの状況にありました。
何とか畑だけでも利用する方法はないものかと、島に帰るごとに頭を悩ませていました。普段の生活の拠点は沖縄本島であり、島に行けるのはニヶ月に一度程度。「その中で畑に作物を植えて管理する事が可能なのか?」自問自答していく中で思い出したのが、妻のおじさんの何気ない一言です。
それが与那国島の「あざみは最高だよー」の言葉でした。
調べて見ると「あざみ」と言う植物は多年草でいろんな効能・効果が有り、島の年配者やいろんな人達に聞いても昔から根っこを煎じて飲んで体調管理したとか、キンピラゴボウの様に料理して食べたとか、「医食同源」の素材として自然にとりいれられていました。
「あざみ」は、島の周囲特に海岸沿いで自生しているものであり手入れをしなくても、時季になれば生育してくれます。自生している植物だし色んな成分も期待できるしセカンドライフの一つだと思えば良いかと考え、畑に数株試しに植え付けて見たのが1 0 年位前です。
植え付けた「あざみ」の生育を観察していく中で、これはビジネスとして成り立つのではと閃きました。
畑(露地)栽培するのに重要なことは土作りや栽培方法であり、特に気を使ったのが化学肥料や農薬等は使わないこと。また使ったとしても使用頻度を極力少なくする事をモットーに栽培を始めました。
品質確保や安定供給を、第一に考えながら「あざみ」の栽培を、試行錯誤の繰返しで今日に至っております。
やり始めの頃は「あざみ」を、栽培して何するのか?島中あちらこちらで自生している物を植え付けた処でビジネスとして成り立たないだろう?と嘲笑され変人呼ばわりでした。又その逆もあり「あざみ」の栽培に理解してくれる人も現れ世の中は楽しいなと思う時でも在りました。
特に周りの人に言われたのが、私個人の本業が農業ではなくー級建築士と言う建物を設計、施工するのを生業としていたから余計そう思われたと思います。
当初は「あざみ」の根っこを収穫する事だけ考えていたのですが、島で長命草を手掛けていた杉本氏に根だけじゃなく、葉・茎も収穫してお茶の原料として使えるとアドバイスを貰い、その工場で洗浄~乾燥までの工程をお願いして、その後本島に郵送してもらい焙煎加工し「お茶」として商品化、販売開始めました。
しかし、お茶販売はしたものの販路先の問題が中々解決しません。それはそうです。世にほとんど認知されていない物ですから。
中々PR が出来ない中で親戚・友人・知人等にモニターになってもらい、その後の感想等を聞き入れていく中で「あざみ」の成分がいかんなく発揮された事が確認できました。
その甲斐もあって今では少しずつでは、ありますが理解され始めています。
ビジネスとして捉えた場合一つの商品だけでは成り立ちません。次に思いついたのが麺です。
とは言っても、つてが有るわけでもありません。飛び込みで何か所か相談をしたのですがダメでした。そこで相談先として那覇商工会議所にお願いして現在の製麺所に出会う事が出来ました。
その時工場側よりの提案で、この「あざみ」を使うなら製造方法は任せて欲しいとの事でしたので、即決了解し出来上がった麺が、現在のもっちもっち、ツルツル食感の「あざみ麺」です。
販売してみると中々の評判で、
視覚:日本そば
食感:うどん
だけども「沖縄そば」風でも「ざるそば」風でも「パスタ」風でも「焼きそば」風でも食べる事が出来全ての麺料理に対応可能な麺だと確信しました。
この麺の美味しさを、どう伝えてメジャーデビューさせるかが今後の課題です。
始めの頃課題であった畑の管理は、「あざみ」の周囲の除草作業が殆どであり、月に一度島に行き4~5 日程度の作業を行っています。
畑全体の面積は6000 対(6 反)あり、そのうち約2000 rrf (2 反)に作付け栽培中で、毎年少しずつ計画的に作付け面積を増やして行く予定です。後々は与那国島の産業として位置づけし後継者を育てていきたいと思っています。
最後に、与那国島という場所と自然環境が、この「あざみ」の成分におおいに役立っていると思います。「あざみ麺」の使用材料の一つである塩も与那国島で作られている物です。この環境に感謝しながら皆様に良い商品が、提供できるのではないかなと考えております。
是非この機会にお茶として「西荊茶」、麺として「あざみ麺」をご堪能頂ければ幸いです。